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2020.10.08
<投了の美学>

 相手から求められもしないのに

自分から「私の負けです」と宣言し、勝負が決することを「投了する」

(負けを認めた側のコトバ)と言います。

 主に囲碁や将棋で使われる用語です。

昨今の藤井聡太 八段の活躍で将棋界はマスコミの注目を浴びていますから、何度か耳にされたことがあるのではないでしょうか。

 それにしても不思議な考え方です。

 殆どのゲームは勝敗を決する権利をプレーヤーに与えていません。それを担うのは審判です。

 将棋の勝敗のルールは相手陣の王将を詰ませた側が勝つというものです。

 しかし、上級者同士の勝負で、王将が詰むまで続くことはまずありません。挽回し難い形勢の不利を悟った側が投了して決着がつきます。

 初心者には、何故勝負がついたのか皆目分からない例も多々あります。

 

 では、「投了」の背景にあるのはなんでしょうか。

 私見では、他からの一切の押し付けられた価値基準に縛られず、ただひとえに自らの信じるところに依拠する姿勢だと言えます。 

 換言すれば、その盤上で起こっているすべての状況に対して敢然と責任を取り切る決意が見てとれます。

 

 勝った側からみても、最後のとどめをささない寛容さが伺えます。とどめをささないからこそ、また別の機会にお互い渾身を込める戦いの場が担保出来るのです。

 

 そこには、戦う相手へのリスペクト(尊敬)が認められるでしょう。

 

           ‘‘美学‘‘を感じる所以です。